D(ここだけ怜視点)
あの男に殴られた右頬が痛む。でも、自分が殴られる理由はわからないでもない。
私は、あの男・・・伍葵の父親と血の繋がりがない。私がいると、家庭の和を壊すことになる。
私が殴られて、あの男の気が済むならそれでいいと思っていた。
しかし、私と伍葵が仲良くしているのが気に入らなかったのだろう。
ある日、私はあの男の部屋に呼ばれた。
「なあ・・・お前さ、」
あの男は私を名前で呼ばない。
「母親にそっくりだよな、その顔」
顔を上げたくない。目が合ってしまうから。それ程に視線を感じた。
「お前の母親は従順だったよ、本当に。俺のために死んでくれて、財産をくれた。
ところが、お前はどうだ?俺に懐かないばかりか、軽蔑したような眼でいつも俺を見る。なあ、俺がお前の親父に劣っているとでも言いたいんだろう!」
力任せに掴みかかられた。
「なんでお前は俺の望むように動いてくれないんだ!?伍葵に、俺が悪者だって吹き込んでるんじゃないのか!?何で黙ってんだよ、なあ!?」
半狂乱になって私を責めたてる。答える暇を与えてくれないのはそっちじゃないか。
男は私を床に投げつけた。
私が原因か。この男を狂わせたのは。
それならば、すべてが悪化する前に。
「私が、出て行けば済むのでしょう」
後妻が来るというその日の早朝、私は家を出ることにした。伍葵には申し訳ないが、私のことは忘れて新しい家庭で楽しく健やかに育ってほしい。
幼さゆえか、無邪気に笑える弟が羨ましかった。笑顔を守りたいと思った。
私はもうその笑顔は見えないけれど、私の知らないところで楽しく暮らしてくれたらそれでいい。
襖の隙間から見えた弟の寝顔は安らかで、きっとそれが、私の記憶に一番新しいものとして残るだろう。
「・・・さよなら、伍葵」
泣くものか。男は強くなきゃいけない。そうだろう、母さん。
私はそのまま家を後にした。
**
一人になった私は、すぐに行動を起こした。東天伎武術学校に入れば、将来が約束される。
金が無いから道場には通えないと思ったが、独学で学ぶには限界がある。
道場の垣根の間から中の様子を覗いていると、
「そこの坊ちゃん、習いたいんか?」
一人の僧が立っていた。
私が驚きの余り返事をするのを忘れいると、
「そーじゃのォ。この頃道場が汚くて掃除婦でも雇おうと思ってたんだが」
「私がやります!代わりに武道を習わせてください!」
道場は綺麗だ。門下生が掃除をするのは当たり前だ。師範は、一文無しの私を迎えてくれようと嘘をついた。
師範は強かった。そして見た目では判らない思慮深さがある。私は多くの事を学んだ。
ただ、いつまでも道場にいるのは気が引けたし、群を抜いた私の上達ぶりを快く思わない門下生もいた。
私は道場を出て行った。
実戦で経験を積んだ。私には敵が多かった。私の事を女だと勘違いして、女が帯刀しているのが気に障るらしい輩が私に挑んで来ることも少なくなかった。
どんなに辛くても自分を律した。卑屈になるのは一種の防御だ。妥協した強さなどいらない。
修業を積んだ私は、東天伎武術学校に入学し極闘になった。
しかし安心はしない。・・・平穏な日々は突然壊れることを知っているから。
過去のことなど忘れて、失うものは何もないと思いたかった。
ところが、三年生になった私の前に現れたのは、私の弟だった。
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